いちもん 第56号 掲載作品   次の作品へ 目次へ
  いまどきの漢字事情
赤松 順太  


 ★起稿の動機
 久しく書字についての関心を失っていた。雑文を書き、漢詩をものする人間として、本来はもっと関心を持ち続けていなければならなかった筈だが、やはり一字一字について、肉筆での表記の機会が少なくなって以来、自然に注意が薄れていたのかもしれない。それがこのところ、にわかに関心事となった。
 私が属している漢詩実作の会、裁錦会(学士会の趣味グループ)に入会したとき、詩稿作成に当つては「楷書・旧字体」と用いるように言われた。その趣旨について格別の説明があったわけではない。ただごく自然に、「楷書」は、自らが表記の正確性を確認し、他の会員の読解を容易かつ確実にするものであり、また「旧字体」は、漢詩の実作を通じて漢字文化の伝続の継承、伝達に志すという立場から、便宜本位に走らず、長年の歴史を経た旧字体を尊重する、ということだと理解していた。
 実は入会以前に就いていた漢詩の先生から、「常用漢字を使うのはいいが、『芸』『余』や『虫』などの文字は使わないで欲しい。意味が変わってしまう」と教えられていたので、それならいっそ、全部を「旧字体」で書けばいいと、あっさりと結論していた。
 ところが隔月に持たれる例会の席上、この「旧字体」の表記法が、私にとっては異常と思われるほどに、問題視されるようになった。書字に無関心な会員に対して、細心の注意を促す意図もあったのかもしれないが、漢和辞典に「旧字体」と注記された通りの字形で、楷書(手書き)するよう指導が行われるようになったのだ。
 一例を挙げれば、「文」や「史」などの最終画の起筆の際に「筆押さえ」が必要、「半」や「平」は「」や「」でなければならない、「音」や「言」の第一画は、縦または斜めの点でなくて横棒である、「しんにゅう」には点が二つ必要、「糸へん」の下部を三つの点で書くのは正しくない等々である。小学校以来、正字と信じて書き慣れていた文字が、誤字に近い取扱いを受けるような趨勢となった。私は疑念を禁じ得なかった。
 こうした指摘に対して古参会員の一人が、ほぼ私と同じような疑念を抱いて反論を唱えた。しかし世の中一般には事なかれ主義者が多い。文字の本質、書字のあり方について、また「字体」「字形」の区別、「旧(新)字体」や「本字」「正字」「俗字」などの語義について、深く追求することなく、「要するに辞書にある『旧字体』を拾えばよい」として、本格的な議論には至らなかった。もちろん区々に書かれた原稿では、印刷される会報に、新旧の字体・字形の混在する恐れがあるとの指摘も、まんざら無視できなくはなかったが。ともあれその後も折々に、枝葉末節にこだわる議論が繰り返されるに及んで、私はついに意見書を提出すべき時期が来たと覚った。
 そして種々の資料を渉猟する過程で、漢字への認識不足もまた、戦後日本のゆらぎを象徴する事象であることを再認識する。そして現今の文字コード化の時代を抑えて、この再認識が、単なる漢詩や書道といった趣味の領域に止まらず、広く社会生活の全般にとって必要だと考えるようになった。私には次第に、その認識を少しでも皆さんと共有したいとの考えが芽生え、意見書とは別に本稿を思い立った。
 
 ★楷書(手書き)と活字の異同
 小学校のころの淡い記憶ながら、習字の時間に「青空・・・」という手本が示されたとき、なぜ「空」と書かないのだろうと、疑問に思ったことがある。国語の授業では「空」と教えられていたからだ。
 周知の通り、漢字は古代中国で創出され、まず篆書が行われたが、書きやすさを求めて隷書へ、そして隋唐に至っての楷書・行書・草書へと進化(変化)した。しかしこの間に、またその後にも、隷書の流れを汲む楷書(手書き)の書法と、できるだけ篆書の形に戻して、「活字」としても通用させようという、二つの流れがあったという。
 広範な文献資料を検証して編まれた、江守賢治氏の「解説字体辞典」によれば、唐代の文人顔真卿は、後者の流れを代表する書家でもあった。そして清代に至って、勢威を確立した康熙帝の指示により、多様化していた字体を統一するために、官製の大字典が編纂された。これがその後の活字体の典拠とされた、有名な「康熙字典」であり、明治以降の日本の活字の多くも、この康熙字典をベースにして作られている。
 しかしこの康熙字典に採用された字体は、必ずしも世の中で通用していたものばかりではない。帝王の権勢を誇示するためかどうか、篆書の流れを受けて、いたずらに画数を増やし、筆記には馴染まない字体を多く採り入れた。書道家は伝統的な字形の美を追究して、必ずしもこの字典に拠ることなく、一般の人々もまた自由に、「手書き」を続けることになる。
 一方日本では、明治から大正・昭和の戦前にかけて、長年にわたって漢字制限の動きが起きていた。それは都度、当然のことながら、伝統に押し戻されて陽の目を見ることはなかったが、戦後、占領軍の支持の下、推進派が力を得てついに実現に至る。戦後直後に派遣されてきた、アメリカ教育使節団の報告書は、「国家の孤立性と排他性を支える言語的支柱」として漢字を位置づけ、こうした意図に後押しされて、制限色の濃い「当用漢字」が制定されたのである。
 ただその動機において、必ずしも望ましからざる措置にも、一つだけ良い点があった。それは康熙字典を相対化して、ある範囲の文字について、伝統的な字形を採用したことである。「(徳)」「惠(恵)」「關(関)」「懷(懐)」などの新字体は、決して簡略化のみを志向して、便宜的に作られたものではなく、長い書字の歴史の中で、正当に手書きされていたものからの採録である。
 つまり当用漢字制定の基準の一つは、康熙字典体(活字体)と手書きの楷書とを、できるだけ統一しようというものだった。「(青)」もまたその一例といってよい。「青」は新字体であり、旧字体は「」でなければならないとの主張は、まったく誤りというのではないにしても、すこぶる杜撰なものといわざるを得ない。先に揚げた「字体字典」によれば、「」が用いられている文書、碑銘などは、篆書にまで遡っても皆無とのことだが、なぜか康熙字典がこれを採用した。著者は日本の漢和辞典による、「青」の「俗字」扱いを概嘆している。
 もっとも明治以降の日本の辞典編集者や活字製作者がすべて無批判に康熙字典体を受け入れたというのではない。有名な諸橋撤次編「大漢和辞典」は、康熙字典の字体に字源的な考察を加え、かなりの文字に変更を施した。たとえば「肩」の第一画は「一」ではなく「ノ」でなければならないとした。こういう例は他にもあり、一概に「旧字体」即「康熙字典体」というのでもない。
 要するに、伝統的な楷書、康熙字典、明治以降の日本の活字、そして戦後の当用漢字以降の字体の関係は、とうてい一筋縄では説明のできない入り組んだ関係にあり、これが関係者の悩みの種となっている。ただはっきりしていることは、康熙字典を神聖視して、これに繋がる明治以降の漢和辞典の活字体を、唯一の「正字」とする考え方は短見に他ならず、生きた文字の伝統から乖離するということである。

 ★常用漢字とJIS漢字
 前記のように戦後の日本は、半ばやむを得ない形で漢字制限に踏み切った。敗戦の衝撃も覚めやらない一九四六(昭和二一)年、早くも一八五〇字の「当用漢字」が制定された。時代を受けて、すべての文書や出版物などから、表外漢字の使用を排除しようというほどの、すこぶる制限色の濃いものであった。
 しかしこの制限はすぐに、世論の反発を招く。ことに人名用漢字の制限が社会的に問題化したため、これが逐次追加されていった。しかしより基本的には、世の中が落ち着くにつれて、漢字の長所が認識され、制限見直しの要望が高まったことであろう。ついに一九八一(昭和五六)年に至って、文字を多少入れ替えたり、追加したりして、日常使用での「制限」を緩和して「目安」と位置づけた、一九四五字の「常用漢字」への移行が決定された。
 このときには、当用漢字では排斥されていた「旧字体」の見直しも行われた。常用漢字表には、新旧で字体の異なる多くの文字に、「いわゆる康熙字典体」に括弧書きされている。同時に楷書(手書き)との字形上の違いや、活字相互の間にもある多少の差異は問わない、さらに「半」「平」と「」「」、「青」と「」、「告」と「」など、画数が同じものは同一の文字であると措定した。「筆押さえ」の有無や、撥ねるか止めるか、付けるか離すかというような違いも、デザインの差として無視してもよいことになった。
 一方この間、漢字制限と並行して、もう一つの時代の要請が、強く意識されてようになった。それは漢字のコード化、いわゆるJIS漢字の制定である。最初のJIS漢字規格表は、使用頻度の高い第一水準二九六五字(当用漢字、のちの常用漢字は全部含まれる)と、これに準じる第二水準三三八三字、合計六三四八字が、一九七八(昭和五三)年に布告され、各々の文字に区点コードが与えられた。ここで注意すべきは、漢字政策が文部省の管掌下で行われたのと異なり、JIS漢字の制定は通商産業省傘下の、工業技術院の手で進められたことである。もちろん双方で摺り合わせの機会は設けられていたが、もともとJIS委員会に国語学者の参加は少なく、漢字政策とJIS化の間の整合性は必ずしも十全ではなかった。
 一九八一年の常用漢字の制定を受けて、一九八三(昭和五八)年、JIS漢字の改訂が行われたが、その際に前記の弊害が露骨に現われ、活字を扱う関係者に大きな混乱を引き起こした。
 その影響は現在に及んでいるが、要するに字体の簡略化が無定見に行われ、その結果すでに与えられていた区点コードが大きく変更されたのである。
 一例を挙げると、今では簡略化されてしまった「活発」を旧字体で表記するならば、当然に「活」と書かれなければならない。ところが常用字の「發」を「発」に変えたことを、常用漢字外の「」のつくり(發)にまで拡大解釈し、「発」を強引に当てはめて「溌」なる文字を作った。そして従来「」に与えられていた区点に、このいかがわしい「溌」を押し込んだため、本来の「」はJISからはじき出されてしまった。冒の「涜」、「祈」の「祷」なども同様である。人はこれを「拡張新字体」と呼んで疎んじ、中には「ワープロ嘘字」とまで言う人もいる。
 常用漢字における、新旧同じ画数文字の同一化や、デザイン差の無視に通底する概念が、一九九七(平成九)年のJIS改正の「包摂」で表明された。具体例を挙げれば、再三例示する「」は「青」に、「」「」などは「高」「間」に包摂されるとする。つまり別の区点コードは与えられない。またよく問題となる、「吉」の上部を「土」にした「異字体」(後述のユニコードにも含まれていない)などを、外字としてコード化することも禁じられた。ところが「隆」と「」、「徳」と「」とは別字として扱うというのだから、整合性に欠ける憾みは否めない。
 基本的に、現在ユーザーの手元にあるパソコンの大半には、この悪評嘖々の八三年JISが組み込まれている。その結果、多くの旧字体は、一応第二水準から拾えるけれども、JISから排除された(つまりコード化が行われていない)前記の文字などについては、どうしようもない。そこで必要に迫られた人々は、この目的に添って開発されたソフトを導入して、対応しているのが実情である。
 私はこれらの文字が、二〇〇〇年に制定された第三水準に登録されたことを知って、昨年購入したパソコンには、きっと収録されていると信じて、何回か打ち出しを試みたがついに空しく、これが誤りであることを知らされた。すでに制定後三年余を経た第三・第四水準は、なおどのパソコンにも実装されていない。
 その謎を追及していて、漢字コード化が日本単独では、どうにもならない現実を覚った。それは意見書を書き上げたのちの、ごく最近のことである。

 ★漢字コード化の国際性
 こうして当初、明朝活字で印刷された漢和辞典「旧字体」の規範化に異論を唱え、これを模写することの愚を提唱すべく染手した、私のささやかな試みは、次第に思わぬ方向に展開して、今、漢字を含む文字コードの国際化という巨大な壁に逢着してしまった。
 さてもこの壁の全貌を語ることは、当然ながら私の力量に余るが、たとえば前記のように、パソコンで欲しい字が打ち出せないとか、いわゆる文字化けが生じるというようなことで、すでに私たちの実生活と接点を持っていることでもあり、知り得た限りにおける概略を書き留めておきたいと思う。概念や用語に、多少の整合性・正確性を欠く場合があり得ること、お含み願いたい。
 いうまでもないことだが、漢字文化圏は膨大な人口を抱えていて、基本ソフトを提供するアメリカのコンピューター企業にとって、今後とも一大なマーケットであり続けよう。彼等にとっては本来、縁もゆかりもない漢字だが、ひとたびコード化という観点に立てば、それはまさしく彼等の世界戦略の、重要な一分野に他ならないのである。
 一九六〇年代以降、文字のコンピューター処理のために、各国が自国の文字をコード化する動きが起きた。これをコンピューター時代の第一期とすれば、ビジネスや学術研究の国際化に伴って、自国の文字コードを国際化する動き活発化したその後の時期が、その第二期と見なされよう。
 まずヨーロッパでは、ISO(国際標準化機構)が結成され、世界各国文字コードの標準化が進められたが、八〇年代半ば、これがISO10640となって結実する。一方アメリカでも同様の目的で検討が進められ、コンピューターメーカーが中心となって、統一的な「ユニコード」制定の作業が進められた。この二つの動きは当初別々だったが、やがて両者の共同化が図られ、一九九一年、正式な「ユニコード・コンソーシアム」の設立を機に、九〇年代に入って、ユニコードとISO10640の統合が実現した。なおこの時期まで、日本でも自力でJIS漢字のコード化、機器への搭載が進められていたが、逐次OS(基本ソフト)をアメリカのメーカーに握られてしまった状況下で、独自の処理方式の推進はままならなかった。
 ウインドウズに先立つOS、MS-DOSの内部処理用として開発された「シフトJIS」方式が採用される。ちなみにこの方式は、「JIS」とあるが、本来の政府制定のJIS規格ではない。マイクロソフトの日本代理店が、JISをベースに開発したもので、区点番号などの設定も当然異なったものになっている。アメリカ製ソフトの日本語化には、すこぶる好適な方式だったようで、早い時期に関係メーカーの間で、その採用が申し合わされていた。
 話はユニコードに戻るが、漢字も当然収録の対象となる。曲折を経て「CJK統合漢字」という形で、すでに二〇〇〇〇字以上がこのユニコードに採り入れられ、九〇年代後半以降の機器には、これが実装されるようになった。それはよいとして、日本が二〇〇〇年JISを制定したときは、そのコード化方式として、前記のシフトJISを念頭に置いていた。ところがマイクロソフトはその頃すでに、OS内のベースとして、ユニコードへの全面移行を決定していた。
 つまり二〇〇〇年JISは、梯子を外されたために、機器への実装がすぐには進まなかったのである。私たちの実用に供されていないと言ったのは、まさにこの事態を指す。二〇〇〇年のJISは、単に文字集合に止まり、コード化に至っていない。料理にたとえれば、食材が取り揃えられたが、未調理の状態のままで、冷蔵庫に眠っているようなものである。今後の見通しとして、これが実用に供せられるようになるには、両者の統合が図られてユニコードに収録され、マイクロソフトなどによる、ソフトへの組み込みが行わなければならない。残念ながらOSをアメリカのメーカーに握られている状況では、日本単独での実用化は不可能なのである。
 ただし実際問題としては最近の機器が、第三・第四水準の漢字約一〇〇〇〇字の、九五パーセント以上を含む、ユニコードを実装している。だから「欲しい文字を拾う」というだけなら、不自由はほとんど解消したと言ってよい。だがユニコード未対応の旧型の機器は、なおユーザーの手元に多数あり、これらでは欲しい字が打ち出せないだけでなく、ユニコードによる電子メール送信を受けた場合、必ず文字化けが発生する。
 いずれにしても今後ユニコードが、コンピューターの文字表記の分野で、主流となることは疑いない。何年かの後には、JIS漢字もすべてこれに収録され、ほとんどのパソコンがこれを実装し、対応するフォント整備されることになるだろう。それ自身は好ましいことには違いないが、アメリカのコンピューター企業の世界戦略、近隣漢字文化圏諸国同士の主導権争いの中で、事態の展開は、わが国にとって必ずしも好ましいとは限らないようである。
 ここまで稿を進めたとき、たまたま国産の基本ソフト「トロン」企業体と、マイクロソフトとの提携が発表された。トロンはOSであって、当然ながら日本語の処理には優れているわけだが、日米通商交渉の当時、マイクロソフトを擁するアメリカの圧力に屈して、国際標準に加えることができなかったらしい。この辺の事情は、開発者坂村健教授の論考で読んで承知していたが、もし当時にトロンの国際標準化が実現していたら、日本語処理の様相もまた違ったものになっていたと思われる。
 さしものマイクロソフト社も、自社が進出を目指している、パソコン以外の領域におけるトロンの進出に脅威を感じて、今回提携交渉が成立したと報じられている。漢字コード化もまた、各国の公益を背景にした、熾烈な競争裏にあることの最近例として認識しておきたい。
(二〇〇三年九月記)

参考図書
  ・江守賢治「解説・字体辞典」 三省堂  一九九八
  ・「常用漢字表 現代仮名遣い・外来語の表記」 
              財務省印刷局  二〇〇一年
  ・府川光男・小池和夫 「旧字旧かな入門」 
                 柏書房  二〇〇一年
  ・加藤弘一 「電脳社会の日本語」 中央公論社(新書)                      二〇〇〇年
  ・清水哲朗 「図解でわかる 文字コードのすべて」
             日本実業出版社  二〇〇一年
  その他インターネット検索による資料多数
 

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