いちもん 第53号 掲載作品 前の作品へ 次の作品へ 目次へ
  わが心の鉱石ラジオ
中田  薫  



 ラジオ深夜便の村田昭アンカーから電話をいただいた。視聴者からの手紙に珍しいラジオが出てくるが、放送博物館にそのようなものがあるかどうかという問い合わせである。
 そのラジオの仕掛けは、石炭のようなものを細かく砕き、その中に火箸のような細い棒をさし込んで、それを加減しながら放送を受信するようになっていたという。いかにも曖昧模糊としているが、ひょっとしてそれは、鉱石ラジオのようなものだったかもしれない。そう思って聞きながら、子どもの頃の鉱石ラジオ作りのことを思い出していた。

 原理まで知る必要はない。エナメル線と方鉛鉱のひとかけら、それに受話器さえあればことは足りる。簡単な材料集めとほんのわずかな器用さがあれば、誰もがラジオを聴くことが出来る。小学校五年の少年にとってそれはまさに新鮮な驚きだった。空中に発射された放送の電波、その上に載せられた音声を、細い銅の針金と鉱石のかけらをある形に組み上げることによって、容易につかまえることができるというのだ。少年が有頂天になったのも無理はない。
 少年はまず必要な部品を集めることから始めた。借りてきた本には十六種類もの回路図が載せられている。どれを選ぶべきか、少年は悩んだ。しかしまたそれらの回路は「いずれもそれらが最良に調整された状態では感度に少しの優劣もない」とも書かれている。とにかく始めることだ。最も少ない部品で済む回路を少年は選んだ。
 鉱石は方円鉱、黄鉄鉱、紅亜鉛鉱などを使う。鉱石ラジオの記事が少年科学雑誌にしきりに登場するのは戦後間もない頃からで、間もなく昭和三十年を迎えようというその頃には、固定式の検波器はすでに小遣い程度で容易に手に入る安価なものが多数出ていた。
 鉱石は半導体である。逆に言えば、一方向にだけ電気を通すものを作れば、鉱石と同じように検波作用をさせることができる。金属の表面が少し錆びているとする。そこに針のように尖ったものを軽く触れると、ある場所では電気が流れるが反対方向には流れないという部分がある。まさに半導体である。汗で錆びかけた使い古しのカッターナイフは、そういうわけで十分に検波器の役目を果たすことができる。
 鉱石の場合、自然のままの表面ではうまくいかない。人工的に割って壊した面を使う。たとえば黄鉄鉱の場合、割って得られる貝殻状の結晶の部分を金属のバネで押さえる。その状態でバネの強さや押さえる場所を変えながら、感度の良いところをさぐる。これをさぐり式の鉱石検波と言っている。放送博物館所蔵のJOAKさぐり式鉱石受信機は、この方式のラジオである。


 したがってさぐり式の受信方法はかなり手が込んだものになる。検波器の接触圧力を、バネを押さえるネジで加減しながら同調ダイアルを回し、感度の最良点を探す。そのあと再び、検波器を調整するのである。
 これではあまりに面倒だというので、固定式の検波器が作られた。直径一センチ長さ五センチほどの円筒に、鉱石とバネを封じ込めたものである。もちろん出荷時に最良の接触点を調整してあるから、少なくとも感度をさぐるという手続きからは解放されることになる。
 少年の選んだのは半固定式の検波器で、探り式と固定式の間にあるものである。この仕組みについては後で述べる。
 あとは検波された可聴周波数の電流を、受話器によって耳に聞こえる音に変えればそれで鉱石ラジオはできあがる。極端に言えば、検波器と受話器があって、そこに適切なアンテナとアースを取り付ければ、放送を聞くことが出来るということだ。
 しかしラジオにはもう一つ重要な要素がある。少年のいた地方都市ですら、すでに第一放送と第二放送に加え民放局が開局していた。受信したい放送局の電波を選ぶという能力がラジオになければ、目的外の電波が混入して聞きづらいものになる。そこで必要になるのが同調回路である。ラジオの顔ともいえるあのダイアルがないのでは、まず使いものにならない。
 聞きたい電波だけを受け取り、その他の電波を受け取らないようにできれば、第一、第二と民放局という三つの放送も聞き分けることができる。
 同調回路には、コイルとバリコンが欠かせない。しかしバリコンは高価である。少年はバリコンをあきらめた。そのかわりにブリキのアームでエナメルをはがしたコイル表面をこすり、目的の周波数に合った巻き線数を選ぶという方式を選んだ。アンテナとアースのターミナル、取り付け用のビスとナットなどの細かい部品は、ラジオの原理に直接かかわるものではない。あと一つ、仕上がりの見栄えを考えると、どうしてもエボナイトの前面パネルがほしい。これは電気店で分けてもらうことにした。

 少年はこのラジオで放送の世界を知る。
 気象通報というものに初めて接し、ニュースの面白さを知り、落語の切れ味に酔った。
 受信感度が著しく落ちることがある。胴部に細長くあけられた矩形の窓から針を挿し込んで鉱石を押さえているバネを調節する。切り欠いた鉱石の或る部分にうまくバネが当たるとにわかに感度が上がる。これが半固定式の良さである。調節のコツもいつの間にか覚えた。

 受話器で聞くだけのラジオから、スピーカーで音が出せるラジオへ。これには大きな飛躍を必要とする。
 まず簡単なアンプを作った。
 受話器に入る信号をそのまま大きくするのは無理があったが、なんとかそれも克服し、鉱石ラジオに増幅器をつないだ自慢のラジオで放送を楽しんだ。
 次は真空管検波だが、それをを試みる前に興味はステレオアンプに移った。少年はいつしかクラシック音楽の愛好者になっていた。

     ◇     ◇     ◇

 鉱石ラジオに再会したのは、その後四十年も経ってからのことである。
 ある日。
 放送博物館の資料庫の小さな引き出しの中から、いくつかの宝石箱のようなものを見つけた。蓋を開けると、黒いエボナイトの板に、鉱石検波器、ダイアル、アンテナやアースの端子が鈍い光を放って並んでいる。宝石箱の中身は、携帯用の鉱石ラジオだったのだ。


 あらためて整理、分類してみる。あの本に載せられた回路図を思い出しながら区分けしていく。それは子どもの頃のおもちゃ箱をひっくり返し、一つ一つをあらためていくように楽しいことだった。そして今さらのように、先人たちの情熱を知ることになったのだった。

 鉱石ラジオの仕組みはラジオの受信原理そのものである。しかもあの時代、さまざまな材料があったわけではない。組み立て方にそんなに違いはないはずだと思いながら見ていくうちに、それが大間違いであることが分かった。部品数が少なければこそ、アイディアは千変万化に飛翔する。思いもかけない発想が生まれる。七十年以上も前の鉱石ラジオたちは、まさに宝の小箱そのものだった。古びてこそいるが、タイピンかカフスボタンが入ってでもいそうなしゃれた小ケースばかりである。ところがそこに組み込まれた仕掛けは、一つとして同じものがなかったのだ。

 たとえばビーバー「ベビーグランド」固定式鉱石受信機というのがある。箱からパネルを引き出し、裏側を見て驚いた。四角形に束ねた絹巻き線があるだけなのである。モノの本によると、こういう束ねただけのコイルは「コイルとして立派に通用するが、タップをとったり取り付けたりする工作が小綺麗に行かないのと、あまりに興がなさ過ぎる」などと書いてあったものである。にもかかわらずタップを半円形にパネルの左右に配し、しっかりしたノッチをかませている。実に見事な工作である。「小さな大物」の名にふさわしいそのラジオに、「興のなさ過ぎる」はずのコイルが使われている。
 パネルサイズわずか五×十センチ、重さ百グラムの超小型だが、アンテナ検波両回路間の結合度を調節し良好な感度を得ることができる実力機なのである。さぞや手に入れたおしゃれな紳士淑女は、これを得意満面で見せびらかしたに違いない。


 ゴールフォン固定式受信機は、数ミリ圧の短冊状の板を馬蹄形に曲げ、そこにコイルを巻いている。その上で両縁のエナメルをはがし、それぞれを二本のアームでこする。やっていることは「ベビーグランド」と同じなのだが、見た目にはまったく違う仕組みのように見える。

 コイルの形状ひとつとっても、機種によって実に様々なものが採用されている。
 もっとも一般的なのが、円筒形の巻き枠に巻いたボビンコイルである。ベークライト製で、直径はこの時代六〜八センチぐらいが適当とされたが、「宝石箱」の携帯型は無論この限りではない。箱に納まるような細いサイズのものでなければならなかった。
 バスケットコイルというのもある。女性なら誰もが子どもの頃に遊んだことのあるリリアンの編み紐のようにして作る。巻き器は木の台に奇数本の真鍮棒を円形に立てたものが用意されている。一本おき、二本おき、三本おきなどの巻き方があり、あたかも籠を編んでいくような趣である
 パンケーキコイルは、放射状に広がる棒に、これも一本おき、二本おき、三本おきなど、それぞれに応じた巻き方で巻いていく。仕上がりはそれこそパンケーキのよう形をしている。蜘蛛の巣のようにも見えるところから、スパイダーウェブコイル、あるいは単にスパイダーコイルともいう。
 ハネカムコイルは、その名のとおり巻き上がった姿が蜂の巣状の幾何学模様をしている。これにはユニラテラル巻きとデュオラテラル巻きなどのバリエーションがある。
 バリエーションといえば、ボビンに巻いた上に更に二層、三層に巻くこともある。バンクワインディングコイルで、俵積み巻きとも呼んでいる。
 おゝ驚いた! コイルだけでも取りあえずこれだけの種類があるのである。
 もう少し宝石箱を見ていこう。

 キング半固定式受信機は、ハネカムコイルを使っている。それも二枚のハネカムコイルを使い、その重なり具合で感度と分離を調整するように工夫されている。その装置を、当時はバリオカプラーと呼んでいた。

 JOAK優賞牌受信機と仮に呼んでおくが、この受信機は裏蓋にJOAKのコンクールで賞を受けたことが誇らしげに印刷されている。二枚のハネカムコイルを使っているところは前の機種と同じだが、アンテナ検波両回路の結合度を小さなバリコンで調整するように工夫している。よく見ると優秀賞メダルには、愛宕山のアンテナと建物が描かれている。作者が得意そうに鼻をうごめかしている様が見えるようではないか。


 そして登場するのが、フォックスフォン固定式受信機である。これぞ究極のアイディアというべきか、この仕組みを理解したときは、唖然とするよりもあまりの見事さに身体じゅうをさわやかな風が吹き抜けるような気持ちがした。


 原理に忠実で、しかも無理のないアイディアは、数学定理の鮮やかな解法にも似て、自然にあふれてくるセンスそのものだったのだ。
 コイルは直径二センチ五ミリのボビンに巻かれている。ところがこのボビンには、あらかじめ斜め鉢巻き状に凸部が作られている。左端から斜めに巻かれた凸部は、ちょうど円筒を一巻きしたところで右端に達する。そういう凸部を作ったボビンにエナメル線を巻くのである。すると、きれいに巻いたエナメル線に、同じ様な凸部が出来る。その鉢巻き状に出っぱった部分のエナメルだけを削り取る。そうした上で、ボビンに接して鉄板を取り付ける。接点から鉄板へ電流が流れる。円筒を回して接点を左から右へ移動させることにより、コイルの巻き線数は減っていくことになるのだ!

     ◇     ◇     ◇

 愛宕山へ来たばかりの三年前、夏休み工作教室の子どもたちとゲルマニウムラジオを作った。
 そんな経験は、科学少年だった人なら誰もが持っていることだろう。ゲルマニウムダイオードは、昭和十六年にシーメンス社から発売された。それを使ったゲルマニウムラジオは戦後しばらく高価だったが、昭和三十年頃には鉱石ラジオとほぼ同じ価格になり、教材の世界からも鉱石ラジオは姿を消すことになった。
 思い立って、これを自作のアンプにつないで聴いてみることにする。鉱石検波器よりも感度が良いといわれるゲルマニウムだが。いずれにせよ出力は微弱である。鉱石ラジオが主流だった頃、この音を何とかスピーカーで聴けないものかと人々は頭を絞ったのだが、いまどき大出力のアンプはどこの家にもある。しかし、鉱石ラジオの音はやはり真空管アンプで聴きたい。1対6のオーディオトランスを介して自作の300Bアンプにつなぐ。今さらのように、あの少年の日の胸の高まりが甦ってくる。
 アンプのボリュームを上げ鉱石ラジオのダイアルをNHKに合わせると、静かに弦楽合奏が聞こえてくる。ラジオ深夜便が始まっているのだ。
 弦の低音がことのほか素直である。あの頃に比べれば放送の電波自体も良くなっているはずだ。それにしても何と澄み切った音だろう。300Bアンプも思いがけない音源を楽しんでいるようだ。
 村田昭アンカーの声が聞こえてくる。夜中に二度トイレに起きるようになった老人からの手紙を読んでいる。眠れないときにはラジオ深夜便を聴くのだという。村田氏が即席の駄作ですがと断りながら「アンカーのとちり気になりまたトイレ」にならないように気をつけます、などと言っている。高齢者とのコミュニケーションを聞くには、この古い回路の鉱石ラジオこそふさわしいのかもしれない。部屋中に安らぎが広がる。
 やがて深夜の二時台になり、ロマンチックコンサートの時間になった。ビージーズの特集だ。いきなり「マサチューセッツ」が始まる。一九六七年の曲だ。もう三十六年になる。あの頃、駆け出しのアナウンサーとして、ディスクジョッキー番組でこの曲をかけていた。「ホリデイ」「思い出を胸に」「傷心の日々」・・・。「メロディ・フェア」は映画「小さな恋の物語」の挿入曲だ。ボーカルと弦との絶妙のハーモニーが心にしみとおる。

 日本の放送が始まって三年目の昭和二年に発行されたオーム社の「鉱石受信機」冒頭にこんな文章がある。
「ラヂオの波が朝夕わが国の暖かい家庭を訪れるようになったのは僅々両三年前のことであるが、今やその普及は駭目に値するものがある。然れども凡そ事物の急激なる発達は動もすれば未熟の成長を伴いやすいものである」
 そこで、放送事業を秩序をもって発達させるためには、大多数の聴取者が使っている鉱石受信機についての知識が必要で、製造者も研究者も「鉱石受信機を児戯に類するものとして之を軽視し、滔々として真空管受信機に走らんとする」ようなことがあってはならないと警告する。
 ものごとが急速に発達するとき「ややもすれば未熟の成長を伴いやすい」ことを先人たちは知っていた。たとえ簡単きわまりない構成のものであっても、効率よく組み立てるという工夫の中に学ぶべきことが多いことを知っていた。そこからいくつもの「宝石箱」が生まれてきた。
 その宝石箱はいまもわれわれの心を動かし、そこにそそぎ込まれた情熱は魂を衝き揺るがせる。
 この愛すべき機器たちを、ことしの図録に載せることにした。より良い音で聴きたいという思いがどのように達成されてきたのか、その原点を知りたいという願いを込めた。
 二月一日はテレビ五十年の記念の日である。しかしテレビの歴史はこの五十年だけのことではない。一歩一歩「未熟の成長」を戒めながら進んできた放送の歴史そのものに重なっている。小さな鉱石ラジオは、そのことをわれわれの心に語りかけてくれる。
2003、1、10
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