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紅組司会・短期養成講座
宮本 隆治


 『紅 1,428! 白 1,130! 客席審査では紅組がリードしました!』
 私はこう言った瞬間、紅組司会者の久保純子を見た。開けている! 口を大きく開けている! そして小刻みに首を横に振り出した。
 きっと心の中ではこう叫んでいるに違いない。 “ Oh! I can't believe it ! 私が優勝していいんかい!”

 司会者発表の記者会見で「私でいいんかいと思った」と言った久保純子。彼女は上機嫌の時、口を開ける癖がある。12月26日、白組の司会者、中居正広さんと初めての台本読み合わの時もそうだった。翌27日、300人を越すスタッフ打ち合わせの際も開いていた。そして29日、紅組の出場歌手全員との面接の時もニコニコしながら口を開けていた。
 『客席審査でリードした紅組にはボールが2個加算されます。併せて13個のボールで優勝が決まります。さあ、数えましょう!』
 紅白の総合司会にとって一番神経を使うのがこの瞬間である。紅白のボールの数、優勝回数を間違って言いはしないか? 優勝チームを反対に言ったらどうしよう? NHK ホールには魔物が潜んでいる。どんな悪戯をするか分からない。これまで多くの魔物が先輩の司会者たちを苦しめて来た。その時、久保はチームリーダーの和田アキ子さんとカゴの中を覗いていた。総合司会にとってカゴを覗きこむ両司会者の表情は優勝を宣言する貴重なバロメーターになる。
 中居さんの表情は?・・・固い。一方、久保は?
 ・・・口が開いている! しかも全開だ!
 『一つ、二つ、三つ、四つ、アッ!白が出ない!紅組の25回目の優勝です!』
 久保は和田アキ子さんとガッチリと抱き合った!雨蛙が大木にしがみつくように。

 さかのぼって11月10日、両軍司会者の発表があった。その日以来、久保は決して快適な日々を送っていたわけではなかった。「44年振り! NHK女性単独アナウンサーの紅組司会」とか「26歳同志。若さと明るさで乗り切る!」と好意的なマスコミもあった。しかし彼女の「若さ」を危惧する声が局の内外から上がっていたのも事実だった。無理もない。彼女のステージでの司会は全く知られていなかったからだ。
 私は心配していなかった。この3年間、毎年秋に千葉・幕張メッセで行われる衛星放送のイベント番組「ちば文化祭」の司会を共にしていたからだ。身内を誉めて申し訳ないが、久保には明るさの他、間違っても嫌みのない態度、そして何より舞台で必要な「華」がある。ニューススタジオでは見られない彼女の他の一面を幕張メッセのお客様は知っていた。大丈夫! ただ、「紅白歌合戦」は3時間45分、視聴率50%台という超大型・生放送特別番組。問題は彼女のあの「伸びやかさ」が本番で出せるかどうか・・・。
 その時、偶然聞いていたラジオから「踊りあかそう」のメロディーが流れて来た。映画「マイ・フェアー・レディー」でお馴染みの曲だ。そうだ!「ヒギンズ教授」だ。私がオードリー・ヘップバーン扮する下町娘、イライザをトップ・レディーに変身させたあのヒギンズ教授になって「司会フェア・レディ」を誕生させよう!

 私は4年間、毎週火曜日の夜8時、NHKホールからの生放送、「歌謡コンサート」の司会を担当して来た。ホールのどこに何があるか分かっている。生放送の命である時計の位置。緊急時に駆け込むトイレの最短コース。舞台中央まで何歩で行けるか。そしてその歩き方・・・。そのノウハウを全部彼女に教えればいい。いや、待てよ。あと1ヶ月半しかない。全部を強要してはかえって混乱する。ここは要点を縛り込んだ方が短期決戦には有効的だ。そこで私こと「紅白版・ヒギンズ」は「紅組司会・短期養成講座」を次の三つに絞って教えることにした。         

 まず第一に、NHKホールの「狭さ」である。「広さ」ではない。NHKホールには満席で3,000人のお客様が入る。最初私はその大きさに圧倒されて呼吸困難に陥りそうになった。3階まである客席、その大きな空間から飲み込まれそうな恐怖感を覚えたものだ。
 舞台は縦70m、横35mあって後ろ半分がスライドする。大抵の人間ならNHKホールに入っただけでその大きさや機能に度肝を抜かれる。が、そこで臆するようなことがあってはならない。彼女には気持ち良く口を開けていてもらわなければならない。だから「NHKホールは大きいがあの幕張メッセや東京ドームよりは小さい。2〜3階席のお客様には申し訳ないが1階席だけ見るようにしなさい」と言った。
 幸い彼女は学生時代、東京ドームでアルバイトの経験があった。彼女が雀荘、寄席、スイミング・プールでバイトしてなくて良かった。                    

 二番目のポイントは「拍手の仕方」である。えっ?そんなことと思われるかも知れないがマイクを持った手で拍手をするのは意外に難しい。普通に叩くと「ボコボコ」という雑音が入る。そこで特殊な叩き方をする。マイクを持っている方の手首をもう一方の手で軽く叩くマネをする。そうすると拍手をしているように見え、雑音も決して入らないのだ。

 そして何より肝心なのが三っ目のポイント「魔物退治」である。紅白の司会者は独特の雰囲気や喧噪の中、コメントを忘れたらどうしようという恐怖感にさいなまれる。防止対策は一つ。「司会保険」をかけることだ。「司会保険」とは曲名と歌手名を書いた大きなスケッチブックを用意すること。これは両ティームの司会者にとって絶対の精神安定剤になり、魔物退治の特効薬にもなる。「紅白ヒギンズ」はこれだけしか久保に伝えなかった。それで十分だった・・・。

 久保純子は昭和47年1月24日東京で生まれた。日本テレビ・アナウンサーの父、晴生(はるお)氏の仕事の関係で小学校をイギリス、高校をアメリカで過ごす。平成6年、アナウンサーとしてNHK入局。大阪放送局を経て平成8年から東京勤務。
 「NHKニュース11」では主にスポーツを担当。持ち前の明るさで、この2年間、着実に視聴者から認知されて来た。
 その紅組司会の久保と白組司会の中居正広さんは共に26歳。私は48歳。司会陣三人の年齢を足すと丁度「100」になる。この100という数字は「紅白」に大いに関係のある数字ということに気がついた。100は漢数字で書くと「百」。『「白」が「一」番と読める』 また英語で書くと“ Hundred ”ちゃんと“ red ”が入っている。

 本番の31日が近づいて来ても久保の表情に全く変化はない。相変わらず明るい!化け物だ。私なんか初めて紅白の総合司会に決まった時、大晦日が来るのが怖かった。30日の夕方6時、前日のリハーサルは終わった。いよいよ明日は本番だ。その時、彼女はこう言った。「宮本さん、なんだかウキウキしてきました!」
 この瞬間、私は彼女の凄さと番組の成功を確信した。

 高さ13m、幅7mの小林幸子さんのセット、いや巨大衣装。舞い飛ぶ夜の蛾、失礼! 蝶の美川憲一さんの幻想的な衣装。母、イクさんを失った武田鉄也さんの感動の歌。安室奈美恵さんの復帰の涙。そして最後に歌った和田アキ子さんの一部肉声での熱唱・・・。「第49回紅白歌合戦」も数々の名場面を生み、紅組の4年ぶり25回目の優勝で幕を閉じた。
 優勝が決まった瞬間、久保は唇を噛んだ。その時、涙が堰を切って流れた。開けていた口は涙の「つっかい棒」、それが外れてしまった。久保純子の敵は白組だけではなかった。「危惧」という敵にも勝ったのだ。
                            (平成11.1.11記)


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